「卒研で窮地におちいったとき、私の場合はですね」(中村広樹)

大森研究室の卒研打ち上げがお開きしてから、33時間後。

私は、埼玉県にあるとある大学の教室にいた。

(ここにこれてよかったなぁ)、(ここにいれてうれしいよぉ)。

窓の外は山と川、うちの田舎みたい。感慨深かった。

日にちをさかのぼって、正月明け。

私の卒研作品は、ほとんど形を成していなかった。

もう遅い。もう時間切れ。他の人はクリスマスには抄録や本論文にとりかかっている。これから作品の完成、抄録、本論文、発表用パワーポイント、発表練習には間に合わない。

6階分室・夕方。

先生:「がんばったかもしれないけど、また来年ですね」

私:「はい。来年またよろしくお願いします」

先生、分室を出て行く。

大森先生は私に引導を渡し、私もそれを了承した。

帰りの地下鉄で、来年また大学で過ごす時間があったら映画学校の特撮技術科でも行くのになあなんて考えた。ほんとに時間があったら行かないけど。でも、専門学校なら大学行きながらでも大丈夫だな。専門じゃなくて。。。 家に帰ってすぐ、願書の締め切りがまだで、卒研発表が終わってから入試がある大学院を探した。

そして、もう一度作品を見てください、チャンスをくださいと、大森先生にメールを出した。この日から「俺は大学院で映画を学ぶ資格を得るんだ」と気分が盛り上がり、遅ればせながら卒研に没頭できた。

請求した資料はすぐさま届き、数日後、高額な受験料を振り込んで願書を郵送した。大学卒業さえかなり難しいのに。しかし、脚本を書いて食べていこうとしている私にとって、これ以上原動力となるものはなかった。

とこんな感じです。私は卒研に着手するのが二度目で、同じ失敗は繰り返したくないという強い気持ちもありましたが、それに加えて、ピンチのときに図々しくなれるものを見つけました。

先生の最終宣告もはっぱをかけてくれているんだと解釈しました。

そうそう、私の大学院の入試結果は、残念ながら。

英語も専門科目もうまく出来たと思いましたが、面接がダメでした。

小手先で書いた「研究計画書」に、3人の面接官が争うようにして突っ込みを入れてきました。

(勉強になったなぁ)、(いやぁ勉強になった)。

(なんか欲出てきたなぁ)、(次の入試は秋にあるのかぁ)。

最後に、卒研のスタートを切った4月の話です。

大森先生の「シナリオについてやれば?」のひとことがなければ、今の私はいません。もしこれが違う卒研テーマに決まっていたら、何度か寝て起きたあと荷物をまとめて因島に帰っています。

「シナリオ」とは何かを今一度見つめなおす機会があったからこそ、自分に足りないものを新天地で学びたいなんてことも思い浮かんだのだと思います。自己紹介のとき、本当に興味があることを隠さなくてよかったです。

終わり。