書籍紹介「日本的経営の興亡」:その2


日本的経営の興亡(TQCはわれわれに何をもたらしたか)」(徳丸壮也著,ダイヤモンド社発行)という書籍,前にも紹介しました.日本のTQC/TQM学者によってTQC/TQMの光の部分が強調されてきた一方,実は影の部分があるんだぞー,というのがこの書籍の愉快なところです.日本におけるTQCに疑念を持つ人,この書籍は必ずしも学術的ではないのだが,一読に値すると思います.

この書籍,ページ276以降によれば(以下,引用):

石川薫の弟子である狩野紀昭(東京理科大学教授)が1980年にジュランをニューヨークの事務所に訪ね,インタビューした記事が「品質管理」誌(80年10月号と81年4月号)に掲載され,狩野が「TQC」という言葉を使ったところ,ジュランからクレームがつけられたことが明らかにされている.

「あなたのTotal Quality Controlという言葉の使い方は混乱を起こさせます.なぜならば,ファイゲンバウムによる,その名前の本があり,その本はまったく違う意味を持っているのです.日本人がTotal Quality Controlで意味することは,会社のすべての管理者が関与していることを意味しますが,ファイゲンバウムは非常に高度に構成されたペーパーワークの体系を意味しているのです.それはあなたの意味するところではないので,この言葉を使わないほうがよい」

こうジュランから忠告された狩野紀昭は,次のように反論している.

「その違いは分かります.おそらく,Company Wide Quality Controlのほうがよいのでしょう.しかし,それにもかかわらず,私がそれを使うのは,TQCという用語のほうを日本の企業は好むからです.もちろん,その内容はファイゲンバウムのものとは違いますが―」

(中略)

「TQCの誤用」でジュランから叱られた狩野紀昭は,さすがにばつが悪かったのか,そのインタビュー記事の後記で,<“TQC”という用語に,博士は相当強くこだわっていらっしゃるという印象を受けた>として,こういう言い訳をしている.

<現在の日本のTQCが,ファイゲンバウム博士の提唱したTQCと相当異なってきているからといっても,日本がTQCを始めるそもそものきっかけは,1958年に訪米したチームが当時ファイゲンバウムのいたGEを訪れて得たものであるのだから,TQCと呼ぶことは一向差し支えなのないことではないかというのが私の意見である.また,ジュラン博士が盛んに心配しているアメリカ人に混乱を起こさせるという点についても,今日にいたっては,ファイゲンバウム博士のTQCを知っている人はごく少数なのだから,それほど心配しなくてもよいのではないか.何故,あれほど博士が激しく“TQC”という言葉にこだわるのか,私には納得がいかない>

これは,他人の論文を勝手に改竄しておいて,バレたら,もとの論文が世間に知られていないからいいではないか,と開き直っているようなもので,西洋の文献の焼き直しを学問的業績にしてきた日本の学者の質の低さがTQC学者も例外ではないと,ここにさらけ出されたといえよう.

(以上,引用終わり)

マタマタ,お気の毒に...

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